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Yosihiko Matsuokaさん

(男性)

  • Facebook認証済み
  • School Withで留学
  • 2校以上の経験
  • 2カ国以上の経験

■横浜生まれの足立区育ち

実は私は横浜生まれで横浜の金沢文庫という町で育ちました。
幼少期はとてもわんぱくで、褒められた子供ではありませんでした。
先生から呼び出しをされていた親にもいつも怒られ、先生と親の両方から板ばさみで怒られていました。
いまでも苦い思い出です。

■東京に引っ越してくる

「東京ってどんだけ都会なんだろ?」胸を弾ませ、緊張をしながら引っ越してきた事をいまでも鮮明に覚えています。
引っ越してきてから感じた印象は、「環状7号線の空気の悪さ」でした。

■高校卒業後バイト先で店長を経験

高校時代からアルバイトをしていた古本屋で、高校卒業後、店長を任されました。
この時,初めて経営というものにちょこっと触れたのかもしれません。
この店はとても業績が悪く、一日の売上げが15000円ほどでしたw
まず私がしたことは、
徹底的に店をキレイにしました。
徹底的にレイアウトを見直しました。
徹底的に目玉商品を作りました。
徹底的に買取を強化しました。
徹底的に宣伝をしました。
当時プレイステーションが全盛の時代、メモリーカードを目玉商品にして、折込チラシを自分達でし
人が人を呼び、来店数が伸び、売上げは3倍にまで成長しました。
このときにビジネスの醍醐味を感じるのでした。

■大学を中退

当時の私はどうにかしていたのでしょう。
大学3年を半ばに教授と喧嘩をして啖呵を切って、次の日に退学をしました。
当時、私は「ヘビーメタルバンド」でリーダーをやっており、とんがっていました。
実はこのとき本気で音楽で生計をたてようと、起業の基礎を築くのでした。
レコード事務所への売り込みの為の、実績作り。
様々なイベントごとで人脈をつくり、バンドに箔を付けていきました。
しばらくして、レコード会社からオファーを受けることになりますが、メンバーの離脱などにより、断念
周囲からの風当たりも強くなり、就職を決意。

■リクルートで鍛え上げられる

大学中退⇒音楽⇒就職という道をたどるのですが、初めての職はリクルートでの営業職でした。
バンドマン上がりだった私は、今では赤面するような出で立ちで、面接に行くのでした。
それでもなぜか5回の面接を経て、無事(!?)採用されるのでした。

リクルートで、徹底的に鍛え上げられ多くのお客様に励まされ、成長する事が出来ました。
いまでも当時のお客様とはお会いさせて頂いております。

■ベンチャー企業で営業を

区内にあるとあるベンチャー企業に入社をしました。

ここでは工業用の製品を製造するいわゆる「工場」だったのですが、
従業員はじめとても雰囲気のよい会社でした。

団結力、行動力、熱意本当に居心地のよい会社でした。

ここでは、営業部を任せて頂き、尽力をしました。

縁あって、日本を代表する世界の自動車メーカーT社の社長様に営業する機会があり
直接のお取引をして頂けるようになりました。

しかし、程なくして、その会社は資金繰りの悪化に伴い倒産してしまいました。
今でもその会社で経験した事は、私の大きな財産になっています。

■独立の道へ

「働く仲間が活き活きと輝ける場所を作りたい」
「後世に残せる会社をつくりたい」

そう思い立ち、私は一番最初に親友でもあり、
システムエンジニアの、三富(専務取締役)に相談をした所、
彼も、合流をし2人で独立をする流れになりました。
(当初は今の業種とは違うもので独立を考えていました。)
2人であくせく企業準備をする中で、
ひょんなことから知り合いの社長さんより「オンライン英会話」の話を聞きました。
私と三富は同時に、「オンライン英会話をやりたい」これぞ「天命」と強く思ったのを今でも覚えています。

しかし、そこには問題がありました。

フィリピンにも行った事がない、どうすればいいのか分からない。
とにかく分からない事だらけでしたが、それでも「この事業を行いたい」その一心で、フィリピンに向かいました。

このときにリクルート時代の同僚、小林(元取締役)を仲間に加え、3人揃ってフィリピンに行くのでした。
(今考えると、とても無謀だと思います)

■絶望、諦め、光明

このとき1冊の本だけを握り締め、フィリピンに行ったのでした。
まず始めに向かったのがマニラ、そこからジェトロに行くことにしました。
アポ無しで突撃したところ、
アポ無しでは「無理」といわれたのですが、本と熱意を見せ、あわせて頂く事に成功しました。
しかし、フィリピンでのビジネスの難しさ、文化の違いのリスクなどを説明され、なかば諦め
ムードが漂っていました。

その時に担当の方から一言,「思い出作りにセブ島に行ってきたら」
これが私たちの今へのきっかけの「一言」でした。

■運命の島「セブ島」へ

セブ島に着き,気分を切り替え観光をしていました。
すると、年端も行かないストリートチルドレンのこどもが物乞いにやってきました。
私にも娘がいるのですが、その娘と同い年2歳のこどもも物乞いに来るではありませんか。

カルチャーショックを受けました。
私のこどもは寝たい時に寝、食べたい時に食べ成長をしている。
しかし、この子達は、今日を生きるために、物乞いをしている。
たった、4000kmはなれた場所でこのような現状があることに衝撃を覚えました。

いてもたってもいられずに、子供達にごはんを食べさせてあげるですが、ここで
わたしは気がつきました。

「今日おなかが満たされても、あすはおなかが減ってしまう」
なんて残酷な事をしてしまったのだろう。

私は、私達はどうしたらいいのだろう、本気で悩み考えました。

そこで出た結論は、学習の機会を与える事、そして雇用を創出すること。
改めて、「オンライン英会話」事業をしなくてはいけないと改めて強く再認識。

この子供達との出会いがキッカケで、こどもたちのためのサービスとして
「オンライン英会話」を広めて行きたいと思うのでした。
※この当時は子供向けのオンライン英会話はないのですが、このフォーマット自体
 子供の学習用途としてとても、可能性があると思い、こども専門のサービスを
 つくるのでした。


■きっかけを掴み取る(願えば叶う象徴)


それから私達は、発想を転換し、インターネットカフェに行き、セブ島の情報を洗いました。

そこで、私達は運命のパートナーと出会い、今があります。

フィリピンの人口7000万人、その中から人生をともにする1/7000万との出会い。

もし、あの時、あきらめていたら。

もし、あの時、ストリートチルドレンの子供たちに出会っていなければ。

私たちは運命を切り開けていなかったでしょう。

今では日本全国のこどもたちがリップルキッズパークで英会話を学ばれています。
また、売上の一部は、ボランティア団体を通じ、フィリピンの恵まれない子供達に
学ぶ機会を作るために寄付をしています。


■とにかくやること、とにかく諦めない事

「やって出来ない事はない。」

「やらずに出来るわけがない。」

心から強くそう思います。

事実、私たちはそれを体験し、実現しています。


時々生徒様と親御様からお手紙を頂戴します。

「リップルを利用して、こどもが英語を好きになりました」
「将来海外留学をしたいというようになりました」
「将来英語を使うビジネスをしたいというようになりました」

本当にこのビジネスをやっていてよかった。

あの時、諦めずにやってきたからこそ、皆さんとの出会いがありました。

何事も気持ち次第。

強い気持ちがあれば乗り越えられない壁はないと思っています。

私達の夢

リップルを通じて英会話を学ばれた子供達と、現在寄付をして、学ぶ機会を得たフィリピンの子供達が

大人になり、一つの会社で一緒の仕事をしていたらどんなに素敵だろう。

私達はみらいのこどもたちに残せる、誇れる仕事をして行きたいと思っています。

これからも、このサービスを盛り上げ、離島や地方部で近くに英会話を学ぶ機会のない子供達や

病院などに入院していて外に出れない子供達などにも利用してもらえるように推進していこうと考えています。

また、公共施設や、学校、塾などにも推進をし、英会話を学ぶ教育のインフラの一つとして機能できるように

日々精進、改善を重ねて行きたいと思っています。

長文になってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

創業期を乗り越えたため、社長交代そして辞任をしました。

株式会社リップルキッズパーク
「元」代表取締役 松岡良彦

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